労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針|公正取引委員会・中小企業庁のポイント解説2025
2025.12.03UP!
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昨今、円安や原材料費の高騰により、経営の舵取りが難しくなっています。「社員の給料を上げたいが、原資がない」「コスト増を取引価格に転嫁できない」とお悩みの中小企業経営者様も多いのではないでしょうか。
安易な賃上げは経営を圧迫しますが、何もしなければ人材流出のリスクが高まります。そこで政府は『中小受託取引適正化法』を改正し、労務費の適切な転嫁を促す新しい指針を策定しました。本記事では、この指針に基づき、下請け企業が正当に価格交渉を行うためのポイントと行動指針を解説します。
受注者側としては、以下の資料を参考に発注者に検討を依頼してもらうことが可能です。
『労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針』のポイント
📖 本書の核心
問題意識
- 構造的な賃上げの停滞: 30年ぶりの高い賃上げ率を記録したものの、物価上昇に追いついていない現状があります。特に雇用の7割を占める中小企業が賃上げ原資を確保できていません。
- 労務費転嫁の遅れ: 原材料(転嫁率80.0%)やエネルギーコスト(同50.0%)に比べ、労務費の転嫁率は30.0%と著しく低い水準です。
- 根強い意識の壁: 発注者だけでなく受注者側にも、「労務費の上昇分は自助努力(生産性向上)で吸収すべき」という古い固定観念が根付いています。
- 「言い出しにくい」構造: 立場の弱い受注者は、取引停止を恐れて交渉を申し出ることすら困難な状況です。
中心メッセージ
- 労務費は転嫁すべきコストである: 労務費を原材料費と同様に、適切に価格転嫁すべき「正当なコスト」として扱ってください。
- 行動変容の要請: 従来の慣行を打破するため、発注者・受注者双方が採るべき「12の行動指針」を遵守する必要があります。
- 経営トップのコミットメント: 現場任せにせず、経営トップが責任を持って転嫁受け入れの方針を決定し、周知徹底してください。
🧠 思考フレームワーク
物事の捉え方
- サプライチェーン全体最適: 直接の取引先だけでなく、その先の取引先(2次、3次下請け)まで含めた「サプライチェーン全体」での付加価値向上を目指す視点が重要です。
- 「沈黙」はリスク: 何も協議せず価格を据え置くことは、現状維持ではなく「独占禁止法違反(優越的地位の濫用)」や「下請代金法違反(買いたたき)」のリスクであると捉えてください。
- 公表資料の重視: 個別企業の機密情報(内部コスト構造)よりも、誰でもアクセスできる「公表資料(最低賃金上昇率など)」を信頼し、交渉の根拠とすることを推奨します。
判断基準・価値観
- 重視すること: 「定期的なコミュニケーション」「協議の場の設定」「公表データの尊重」
- 軽視(否定)すること: 「一方的な価格据え置き」「過度に詳細な原価資料の要求」「労務費上昇を自助努力のみで解決させること」
- 良い/悪いの判断軸:
- 善: コスト上昇分をサプライチェーン全体で分担し、賃上げにつなげること。
- 悪: 立場の強さを利用してコスト増を受注者に押し付け、公正な競争を阻害すること。
📋 各章のポイント:12の行動指針
第1部:発注者として採るべき行動(6項目)
行動①:経営トップの関与と方針決定
- 【主張】 経営トップが労務費転嫁を受け入れる方針を決定し、書面等で社内外に示すこと。
- 【根拠】 現場の担当者は「コスト削減」が評価指標になりがちで、トップの指示がなければ転嫁を認めにくいため。
- 【視点】 方針を社内に留めず、受注者にも公表すべきです。受注者が「相談しても無駄」と思わない環境作りが先決です。
行動②:定期的な協議の場の設定
- 【主張】 受注者からの申し出がなくても、発注者から定期的に(年1回など)協議の場を設けること。
- 【根拠】 立場の弱い受注者からは「値上げ」を言い出しにくい現状があります。特に長年価格が据え置かれている取引や、名ばかりのスポット取引は要注意です。
- 【視点】 「何も言われないから問題ない」は通用しません。無協議での据え置きは違法リスクとなります。
行動③:公表資料の尊重と過度な資料要求の禁止
- 【主張】 根拠資料は「最低賃金上昇率」や「春闘妥結額」などの公表資料で十分とし、受注者の提示額を尊重すること。
- 【根拠】 詳細な内部原価データの要求は、受注者にとって過度な負担となり、交渉断念の原因となります。
- 【視点】 「納得できる詳細な証拠を出せ」と迫ることは、実質的な「交渉拒否」とみなされ得ます。
行動④:サプライチェーン全体への配慮
- 【主張】 直接の受注者が、さらにその先の外注費等を適正化できる立場にいることを考慮すること。
- 【根拠】 価格転嫁はバケツリレーです。直接の取引先を絞れば、その下請けが苦しむことになります。
- 【視点】 「うちは下請けに払った」で終わりではありません。その資金が末端まで回る価格設定か想像力を働かせてください。
行動⑤:協議拒否・不利益取扱いの禁止
- 【主張】 労務費上昇を理由とした値上げ要請があれば必ず協議に応じ、取引停止などをチラつかせてはならない。
- 【根拠】 労務費は「自助努力で吸収」すべきものではなく、転嫁すべき正当なコストです。
- 【視点】 「過去の賃上げ分」だけでなく、「これからの賃上げ原資」の確保も正当な値上げ理由となります。
行動⑥:計算手法の提案・サポート
- 【主張】 交渉が苦手な受注者には、発注者側から計算式や考え方を提案すること。
- 【根拠】 「どう計算していいか分からない」という理由で転嫁を諦める受注者が多いため。
- 【視点】 発注者は多くの取引先を持っており情報強者です。その知見を使って、受注者の値上げを助ける「伴走者」となるべきです。
第2部:受注者として採るべき行動(4項目)
行動①:相談窓口の活用と情報収集
弁護士や公的機関(よろず支援拠点、下請かけこみ寺等)に相談し、情報を集めて交渉に臨むこと。
- 【根拠】 労務費転嫁は難しいと思い込まず、外部の知恵を借りることで道が開けます。
行動②:公表資料を用いた根拠提示
自社の原価を開示する必要はありません。最低賃金や物価指数などの公表資料を使って交渉しましょう。
- 【根拠】 コスト構造を明かすと、かえって原価低減(値下げ)を迫られるリスクがあります。
- 【視点】 堂々と「世の中の賃金がこれだけ上がっているから」と主張して構いません。
行動③:交渉タイミングの戦略的活用
発注者の予算策定時期や繁忙期など、交渉しやすいタイミングを捉えて申し出ること。
- 【根拠】 契約更新時だけでなく、最低賃金改定後など、世の中の動きをフックにするのが有効です。
行動④:希望価格の能動的提示
発注者からの提示を待たず、自分から希望価格を提示すること。
- 【根拠】 待っているだけでは、発注者に都合の良い価格にされがちです。
第3部:双方共通の行動(2項目)
行動①:定期的なコミュニケーション
- 【主張】 日頃から相談しやすい関係を構築し、受注者の状況(人材流出の危機等)を把握すること。
- 【視点】 信頼関係があれば、資料がなくても値上げが通ることがあります。
行動②:交渉記録の作成と保管
- 【主張】 交渉内容は必ず記録し、双方で共有・保管すること。
- 【根拠】 言った言わないのトラブル防止だけでなく、担当者が代わった際の引き継ぎにも有効です。
🔧 実践的な提言・手法
具体的なアドバイス:価格交渉の申込み様式(テンプレート)
本指針では、具体的な計算式やフォーマットの使用を強く推奨しています。
- 推奨フォーマットの使用: 巻末の「価格交渉の申込み様式(例)」を活用する。
- 計算ロジックの例:
- 上昇額ベース:
「改定前の支払い実績(労務費総額)」×「最低賃金・春闘の上昇率」=「上昇額」 - 単価ベース:
「現在の労務費単価」×「上昇率」=「新単価」 - 係数アプローチ:
「受注者の労務費上昇率」×「売上高に占める労務費の割合」を乗じる。
- 上昇額ベース:
避けるべき行動(Bad Cases)
- 「スポット取引だから」: 実質的に継続取引なのに、スポット扱いにして価格交渉を避けること。
- 「指定フォーマットの強要」: 発注者が用意した不利な計算式以外認めないこと。
- 「詳細資料がないなら認めない」: 公表資料を出しているのに、さらに詳細な内部データを要求して諦めさせること。
注意点
- 受注者側: 「最低賃金の上昇率などの公表資料は用意しましたか?」「詳細な原価計算までは不要です。最低賃金の上昇率を指標にして、このような計算式で提案してみましょう。」
- 発注者側: 「定期的な協議の場は設けられていますか?」「トップの方針は出ていますか?」
🎯 重要キーワード・概念
- 労務費(Labor Costs): 単なる作業賃金だけでなく、将来の賃上げ原資や法定福利費も含む広い概念。ここでは「転嫁されるべき正当なコスト」と定義される。
- 優越的地位の濫用(Abuse of Superior Bargaining Position): 独占禁止法上の概念。取引上の地位が優越している側が、相手に不当な不利益を与えること。本指針では、協議に応じないこと自体がこれに該当するリスクがあると警告する。
- 買いたたき(Beating Down the Price): 下請代金法上の禁止行為。通常支払われる対価に比べて著しく低い額を不当に定めること。コスト上昇分を反映せずに価格を据え置くことがこれに当たる。
- 公表資料(Public Data): 最低賃金上昇率、春季労使交渉妥結額、消費者物価指数など、客観的で誰もが入手可能なデータ。これを「合理的な根拠」として認めることが本指針のキモである。
- 価格交渉促進月間(Price Negotiation Promotion Month): 毎年3月と9月。発注者が協議を呼びかけるべきタイミングとして推奨される。
質問:詳細な原価データを出さないと値上げしてもらえないのでしょうか? 回答:いいえ、詳細な内部データの開示は不要です。 本指針では、最低賃金の上昇率や春闘の妥結額といった「公表資料」を根拠とすれば十分とされています。むしろ、発注者が過度に詳細な原価資料を求めることは、実質的な交渉拒否として問題視される可能性があります。
質問:発注者から協議の申し入れがありません。待っていれば良いですか? 回答:いいえ、受注者から積極的に希望額を提示すべきです。 指針では発注者からの定期的な協議設定を求めていますが、待っているだけでは現状維持(据え置き)のリスクが高まります。公的データを用いた簡易な計算式(例:労務費単価×上昇率)を用いて、自ら能動的に交渉を申し入れてください。
質問:スポット取引(単発発注)でも価格交渉の対象になりますか? 回答:はい、対象となります。 形式的にスポット取引であっても、実質的に継続的な関係がある場合や、著しく低い価格設定は規制の対象です。「スポットだから」という理由で交渉を拒否したり、買いたたいたりすることは許されません。

