赤坂国際会計事務所

国際契約の「不可抗力」は死んだのか?地政学リスクとAI時代の新戦略

2026.03.02UP!

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——時間軸 × 認識可能性 × 制御可能性による契約思想の再構築

序章:国内契約と国際契約は別物である

日本国内契約は、長らく予測可能な法秩序の中で回ってきた。【民法】、【商法】、【下請法】、【消費者契約法】——裁判所は機能し、回収可能性は制度的に担保され、契約違反が起きても法的解決の枠組みは安定していた。企業は経済的に自律した判断主体だった。

しかし国際契約はそうではない。

WTOは実質的に機能停止に追いやられる状況である。国家は通商ルールよりも安全保障を優先する。2020年以降、特にトランプ政権以降、構造は明確に変わった。企業は自律主体ではなくなくなった。国家が予測不能な変数として契約に侵入する時代に入った。

この認識なしに、国内契約と同じ感覚で国際契約を設計すれば、重大な損失を生む。

  • ① 回収は保証されない
  • ② 商品は止まる
  • ③ 決済は凍結される

2025年のホルムズ海峡の緊張は単なる中東問題ではない。保険が効かなくなり、原油輸送、保険料、物流、決済——物理的衝突が直接、契約履行を止める。しかしより重要なのはこれだ。

物理的衝突がなくとも、国家は契約を止める。

2026年2月27日、Anthropicの事例がそれを証明した。

Anthropicは、自律型兵器および米国市民への大規模監視へのAI利用を制限する条件を米国防総省との契約交渉で求め続けた。その結果、トランプ政権は連邦政府の全機関に対しAnthropicのAIツール使用停止を命じ、同社をサプライチェーン上のリスクと位置付けたと報じられている。同日、OpenAIは同様の制限条件をDoD契約に盛り込む形で国防総省との契約締結を発表した。

構造を整理すると、こうなる。Anthropicは倫理的制限を条件として提示した。国家はその条件を拒否し、サプライヤーを排除した。OpenAIは条件を受け入れ、契約を得た。

筆者は、企業が自社の倫理的制限を持つだけで、国家安全保障上のリスクに分類される時代が来たと認識している。コードは地政学的資産になった。

2025年以降、テクノロジーを含まない契約はほぼ存在しない。SaaS、決済インフラ、物流管理、通信——これらすべてにテクノロジーが内在する。そしてすべてのテクノロジーは、国家安全保障と何らかの形で接続している。

インターネットはARPANETから生まれた。GPSは軍事測位システムだった。半導体やAIなどの主要な基盤技術はすべて、安全保障と不可分に発展してきた歴史を持つ。

中国の軍民融合(MCF)戦略はこの逆流を国家戦略として制度化したものだ。かつての構造は「軍事技術の民間払い下げ」だった。しかし今は逆に「民間技術の軍事吸収」が常態化している。米国も同様に、民間AI・ドローン・衛星を安全保障の枠組みに取り込む速度を上げている。

テクノロジーを含む契約において、軍事転用リスク・国家介入リスクは不可抗力ではない。契約設計時に織り込むべき既知の構造リスクである。

それにもかかわらず、多くの企業は20年前に作られたフォースマジュール条項をそのまま使い続けている。本稿の問いは明確である。国家が変数となった時代に、誰が何をいつまでに行動すべきかを、契約はどう設計すべきか。

第一章:フォースマジュール条項はなぜ機能不全に陥っているのか

1-1 変数の主体が変わった

フォースマジュール条項が機能不全に陥っている根本原因は、責任の所在が特定できない変数の増加にある。

かつてリスクの主体は市場参加者だった。しかし今、決定権者は大統領、行政機関、関税当局、制裁担当官——いずれも契約当事者ではない。イラン情勢を例にとれば、海上封鎖の決定は国家指導者が行う。制裁の発動はOFACが決める。関税の変更は大統領令一本で翌朝から効力を持つ。いずれも民間企業には制御できない。

この構造変化に対し、既存のFM条項は沈黙している。テンプレートは誰がリスクを負うかを決めていない。だから紛争が発生した際には交渉になり、交渉が得意な側が勝つ。

1-2 テンプレート依存の問題

とりわけ経験の浅い契約担当者は、包括的な不可抗力列挙と一律的免責構造を採用する傾向がある。「天災・戦争・その他不可抗力」という一文で済ませてしまう。

その結果として生じる問題は単なる法的リスクにとどまらない。フォースマジュールを発動した時点で、契約関係の継続性と信頼関係は毀損される。これはインテグリティの問題でもある。長期的な取引関係において、FM主張はしばしば「この会社とはもう続けられない」というシグナルとして受け取られる。

FM条項を上手く使うことを目指すべきではない。FMを主張せずに済む契約構造を設計することが本来の目標である。

第二章:予測可能性の解体——「知らなかった」の構造化

2-1 コロナ以降、閾値が上がった

コロナ禍は、「予測不可能性」の免罪符としての機能を大幅に低下させた。仲裁廷や裁判所は今、以下の問いを立てる。

  • ① その事象は、業界の合理的な参加者であれば認識し得たか
  • ② 認識し得た時点でどのような行動をとるべきだったか
  • ③ その行動をとったか、とらなかったとすれば理由は何か

地政学リスクは常態化した。イラン情勢の緊張は、少なくとも2020年代において業界関係者であれば「潜在的リスク」として認識できた。対中制裁の強化も、AIに関する輸出規制の拡大も、「突然の出来事」とは言えない。

「知らなかった」は通らない——というより正確には、「知らなかった」の中身を精緻に問われる時代になった。

2-2 予測可能性はグラデーションである

重要なのは、予測可能性が二値(知っていたか/知らなかったか)ではないという点だ。予測可能性には少なくとも以下の層がある。

1. 抽象的認識可能性:業界全体として、そのリスクカテゴリが存在することを知り得たか
2. 具体的認識可能性:特定の地域・相手方・技術について、具体的なリスクを知り得たか
3. 発生確率の評価:そのリスクがどの程度現実的に発生し得ると評価すべきだったか
4. 回避可能性:リスクを認識した上で、代替手段を講じることは可能だったか

この4層を区別せずに「予測不可能だった」と主張するのは、今や「雑な主張」として扱われる。

2-3 制御可能性という壁

しかし問題はさらに深い。「知り得た」としても、「どうにもできなかった」が成立するケースが確実に存在する。国家や国家に準ずる勢力が相手の場合——情報は非対称(政策決定は非公開)、介入は突発的(制裁は一夜にして効力を持つ)、回避手段がそもそも存在しない場合がある。

この「認識可能性と制御可能性の分離」が、現代のFM論の核心にある。「知れた」としても「どうにもできなかった」。その範囲を誰が、どの基準で、どう判断するか。ここを精緻に条文化できなければ、紛争は避けられない。

第三章:回避義務の時間軸——四層構造

最も重要な視点の転換はここにある。回避義務は「発生時点」の問題ではなく、連続体として存在する。

フェーズ0:準備段階(契約締結前)

  • ① 地政学リスクの情報収集は業界標準と比較して十分だったか
  • ② サプライチェーンの代替可能性を事前に検討していたか
  • ③ カントリーリスク評価を行っていたか
  • ④ 技術の軍事転用可能性や輸出規制対象の確認をしていたか

フェーズ1:契約締結時

  • ① 地政学リスク・制裁リスクを明示的に列挙したか(包括型か列挙型か)
  • ② 代替履行義務の範囲を限定したか
  • ③ 通知期間と通知形式をどう設計したか
  • ④ ハードシップ条項(再交渉義務)との組み合わせを検討したか
  • ⑤ 国家措置をFMに含めるか、別途の条項として切り出すか

フェーズ2:緊張期(イベント前兆段階)

  • ① 制裁リストの定期的モニタリングを実施していたか
  • ② 物流の迂回ルートを検討していたか
  • ③ 社内でのリスク報告体制が機能していたか
  • ④ 代替サプライヤーとの事前交渉を開始していたか

フェーズ3:発生後

  • ① 被害軽減義務(mitigation duty)の履行記録があるか
  • ② 代替調達・代替履行を試みた証跡があるか
  • ③ 相手方への通知は適切なタイミングと形式で行ったか
  • ④ 再協議・部分履行の提案をしたか

第四章:三次元構造——判断の核心

現代のFM判断は以下の三次元で評価される。

予測可能性 × 行動義務 × 時間軸

予測可能性:何を、いつ、どの程度の精度で知り得たか(グラデーション評価)
行動義務:認識した上で、何をすべきだったか(合理的商人基準)
時間軸:フェーズ0から3のどの段階で、どの義務が発生していたか

この三次元で考えると、「フォースマジュールが通るかどうか」という二値の問いは意味を失う。問われるのは、各フェーズで適切な行動をとったかどうかの積み重ねだ。

第五章:契約設計の再構築——国家介入を前提とした条項

5-1 具体的な設計

今後必要なのは、国家意思の介入を具体的に条文化したGeopolitical Risk Clauseだ。含めるべき事項の例を以下に挙げる。

  • ① 制裁の発動・強化・スナップバック
  • ② 輸出規制の変更(EAR、外為法、輸出管理令)
  • ③ 政府によるサービスアクセス制限・バックドア要求
  • ④ データ主権規制による越境移転の禁止
  • ⑤ 関税の突発的変更による経済的履行不能

5-2 予測可能性グラデーション条項

「予測可能性の程度」に応じて義務の内容を変える条項設計が必要だ。

  • 高度の認識可能性がある場合:代替手段の検討義務・通知義務が直ちに発生
  • 中程度の認識可能性がある場合:モニタリング義務・内部報告体制の整備義務
  • 低度の認識可能性がある場合:通知義務・軽減措置の合理的試行義務

5-3 再交渉条項(Hardship Clause)との組み合わせ

国家介入が段階的に進む場合、これらは完全な履行不能をもたらすのではなく、履行コストを著しく増大させる。こうした場合にはHardship Clauseが有効に機能する。FMとHardshipを組み合わせた設計が、今後の契約実務の標準になるべきだ。

終章:フォースマジュールを必要としない設計へ

日本企業の多くは、国家を変数とする契約設計をしていない。テンプレートを使い、リスクを「その他不可抗力」の一文に押し込め、問題が起きてから弁護士に相談する。

しかしFMを主張した時点で、その契約関係はすでに終わりに向かっている。法的勝敗とは別に、ビジネス上の信頼は損なわれ、継続的取引は困難になる。

本稿が提唱するのは、フォースマジュールを上手く使う技術ではない。フォースマジュールを主張せずに済む契約構造を、事前に設計することだ。

  1. テンプレートから思想へ:条文は「誰がどのリスクを負うか」の設計書である
  2. 二値から多値へ:予測可能性はグラデーションで評価される
  3. 発生時から連続体へ:回避義務はフェーズ0から始まっている
  4. 市場主体から安全保障主体へ:すべての契約は今や地政学的文脈の中にある

国家が変数になった時代において、契約は市場秩序の産物ではなく、安全保障秩序の中で設計されるものになった。イラン情勢とAnthropicの排除は、その両極を示している。手段は異なるが、国家が契約を止めるという本質は同じだ。

フォースマジュールを主張する会社は、すでに契約設計で敗れている


著者情報

赤坂国際法律会計事務所
弁護士 角田進二(Shinji SUMIDA)

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